じいちゃん
2021.09.07
一歩間違えてたら名前が
「健一」ではなく
「守家」(もりいえ)になっえいた武将 廣澤です。
#命名希望じいちゃん
#阻止親父とうちゃん
#初孫
#徳川108代目将軍の名前
その話を聞いた当時は、「危なかった!父ちゃんありがとう!」
と思っていたのですが、
家づくりに人生をささげている今、「守家もアリだったなぁ」と思えている今日この頃です。
#じいちゃんありがとう
地元宇出津で工事が始まったこともあり、週に1回は宇出津に帰っています。
※今回は長くなりそうで、特に面白くないのでここで閉じることを強くお勧めします。
初孫ということもあり、じいちゃんにはメチャクチャかわいがってもらいました。
甘いのなんの。
子供の日の兜は超でかいやつ。
下町なのに、超でかい鯉のぼりも買ってもらってました。
自転車もたくさん買てもらってましたし、
ディスクを持っていないのにツインファミコンも買ってもらってました。
僕がチョコレートが好きと言えば際限なくチョコを買ってきて
前歯が全部虫歯になったのはじいちゃんのせいです。
#僕も初孫にそうなる自信しかない
ちょくちょくじいちゃん家にも泊り、風呂にも入るのですが、
唐突に湯船に僕のウンコが浮かんできた日があり、
この後同居の息子(おじちゃん)たちが入ることもあり、
無言でそそくさとウンコを桶に浮かべて捨ててくれたことを
しばらく黙秘してくれていた素敵なじいちゃんです。
#おじちゃんごめんて
じいちゃんも会社を起業した人でした。
当時は絶好調で景気も良かったようです。
多趣味な人で、陶芸、書道、詩吟、山いじり、
僕が生まれる前はしょっちゅう海外に旅行いっていたそうで、
家には民芸品がメチャクチャありました。
#憧れ人生
陶芸にも連れて行ってもらったり、詩吟の発表会には
剣道の型を披露するのに夜な夜な練習して参加もしました。
#懐かしい
#おもちゃ買ってやるからに釣られた俺と妹
大学を卒業して金沢で就職し、一人暮らしをスタートしたのがじいちゃんが病院通い兼子供のために建てた一軒家でした。
#家賃ゼロ
ここを無許可でDIYしまくってました。
趣味はDIY。
ここから今の守家が産まれたといっても過言ではないです。
建て壊しになったのですが、思入れが強すぎて解体中は毎日見に行きましたね。
病院の時にじいちゃんとばあちゃんが泊りに来て。
古い炊飯器で、粒たってないネチョネチョのご飯と盛り沢山のおかずをばあちゃんが作ってくれて。
#お年寄り好みの
#ほうれん草多めの
懐かしいやらありがたいやらで。
DIYが進むにつれ、家がコンパ会場と化し、
じいちゃんところに近所からうるさいとクレームが上がったことは
今でも墓前で謝罪しています。
そんなじいちゃんが、物を買うだけではなく、おそらく伝えたいことが詰まっていたのが「山いじり」だったんだと思います。
山を買って、道をつくり、電気を引き、小屋を建て、いろんなものをつくってました。
メインはキウイフルーツ
#何故
メチャクチャできてました。
#そんなに食えない部類のフルーツ
その山に別に行きたくも無いのに、しょっちゅう連れていかれて。
色んな手伝いをしたり、いろんなことを教えてもらったり、いろんなことをしゃべったり。
いい場所でした。
僕とじいちゃんを深くつなげてくれた場所。
今現在、僕も山みたいなものが欲しくなったりしているので、
じいちゃんの血を色濃くうけついでいるなぁと。
#自分の城よ
#徳川の血よ
#関係ないんだけれども
その中で、強烈に残っている言葉があって。
「今やっとるその作業、どうやったら楽に早く終わるか考えろ」
「付き合う人間は考えろ」
このふたつの言葉が、当時小学校高学年の少年に深く突き刺さり、
今でも常に自分の「芯」になっている言葉です。
#あの子たちにもわかる日が来る的な
#黒川仏壇店
じいちゃんが与えてくれたものは、物だけではなく、生き方も与えてくれてました。
墓参りをしながら、そんなことを思い出した独り言でした。
#長いて
#ごめんて
#たまには
#真面目に
守家からは以上でーす。